m-sachiko_2マーシャン祥子さん(オーストラリア・シドニー在住)

今回の、突撃インタビュー「人・ひと@広場」は、オーストラリアで出張料理人をされているマーシャン祥子さんにご登場いただきました。

【やほい】
最近、オーストラリアの永住権を取られたそうですね。
おめでとうございます。

【祥子】
ありがとうございます。永住権を取るのは、フランス人の夫との目標でもあったので、とても達成感があります。

【やほい】
自分の暮らす場所で、自由に働いたり、勉強したりするって、日本人が日本で暮らしているぶんには意識することもないですけど、ひとたび、海外で暮らすことになると、避けては通れない現実ですよね。永住権取得には長くかかったのですか?

【祥子】
3月から準備を始めました。始めた当初は必要書類の多さや費用の面でも気が遠くなっていたんですが、夫がグラフ付プランを書いた大きな紙をでかでかと壁に貼り付けて、終わっては×、とひとつずつ進めていったんです。3カ月後に予定されていた英語の試験のために、ゆっくり勉強しようと心に決めた数日後、夫から電話がかかってきて「3日後にテストのキャンセル待ち取れたから受けてよ」と言われたんです。

「え!?何も勉強してないけど?」とあせりましたが、早く永住権を取りたかったので、必死で3日間勉強して無事にパス。その後は全ての書類も揃い、夫の会社を通じて申請をしてなんと2週間半でゲットできました!

【やほい】
なんて早いんでしょう。でも、自由の切符を手にして、すっきりしましたでしょう。

【祥子】
フランス人と日本人である私たち夫婦にとって、オーストラリアはお邪魔してる国、いつかは出て行かなきゃいけないという以前の状況がなんとなくストレスだったんです。労働ビザだったので、首になったら28日以内に出国しなければならなかったし。自分たちの意思以外の何かによって、暮らしが左右されるのって、やはりどこか息苦しさがあると思うんですよね。

【やほい】
これで、自由に働けるし、いや、休むこともできますね。労働ビザの場合は、自由に休むこともできませんものね。これで、オーストラリアに永住ですか?

【祥子】
一生オーストラリアで暮らすつもりではないし、またフランスや日本、他の国でくらしたい気持ちもたくさんあるんですが、それはビザや国籍と言うステイタスではなくて夫婦と言うユニットとして自由に選択していけたらいいじゃないですか。永住権は私たちにとって、一生住める安心感と言うよりも、自分の意思に正直でいられる自由の象徴みたいな感じです(笑

【やほい】
なるほどね、とってもよくわかります。日本人なら、北海道で暮らそうと、沖縄で生きようと自由なように、これが地球レベルで可能になったらいいのにね。あちこちで生きてみたい者にとっては国境の壁は高いですよね。

ところで、現在はシドニーにお住まいということですが、その祥子さん、あちこちで生きてみたいの典型というか、ここに来るまで、ずいぶんと“流れて”いらっしゃいますね。(笑)

さしつかえなければ、オーストラリアに到達するまでの経緯を簡単に教えていただけますか。

【祥子】
本当に流れました(笑 流れすぎて途中から日本の家族や友達も、生存が確認さえできれば安心、という感じでしたね。うちの母は会社の壁に世界地図を貼り付けて、今はここ、今はこっちの大陸、今はこの島、と毎回同僚に説明していたらしいです……なんて親不孝なんでしょう。(涙

【やほい】
実は、祥子さんの「メディア広場」登録のときのプロフィールを拝見したときから、居住国があちこちで、「なんておもしろそうな人」と思っていました。

【祥子】
2005年の冬からフランスに料理の修業に出たのが全ての始まりです。

【やほい】
料理修行や絵描きを目指して“フランス”! というのは、よくありがちなパターンですよね。もっともその行動力はありがちながらスゴイことですが。

【祥子】
東京で料理の講師や、フランス料理レストランでの厨房の仕事をしていたため、本場の料理や素材をこの目で確かめてみたかったんです。それまでは2000年からアジア諸国や北アメリカを転々とバックパックで旅していましたが、これが初めての本格的な海外暮らし。

独学で身に付けた赤ちゃん程度のフランス語で、職場の住むあてもないままフランスの南西部、サーフィンの有名なビアリッツに突撃し、なんとか四つ星ホテルで仕事を見つけて働き始めました。

【やほい】
赤ちゃん程度のフランス語で、この行動力ってとこが勇気ありますね。勇気というより無謀って感じかな? スイマセン(笑)

【祥子】
大好きな料理とサーフィンに没頭した、正に青春の1年でした。フランス料理レストランで、本当の美食や、郷土料理バスク料理を学びながらも、日本人としてなにかお返しがしたいと思い、休みの日にはお寿司のケータリングをひとりで行っていました。

【やほい】
ほんと、まさに青春だわ! テレビドラマみたいな話ですね。(メディアの皆さん、テレビドラマのプロデューサーさん、これご覧になっていたら、ノンフィクションストーリーでどうですか?)

【祥子】
これを通じてたくさんの人との出会い、触れ合いがあり、フランスの文化、そして外から見る日本の文化、とにかく多くのことを学び、それはまさにプライスレスな経験でしたよ!今思い出すだけでも胸がきゅんと……。

【やほい】
はい、伺っているだけでも感動します。(私の頭の中には『ロッキーのテーマ』が流れ始めています)

【祥子】
それからヨーロッパ、アフリカ、アジアの旅を経て、日本に一時帰国をしてから、インターネットでのやりとりで承った、メニュー開発の仕事のため、すぐにカリブ海はドミニカ共和国に旅立ちました。

【やほい】
はじめてプロフィールを拝見したときに以前の居住国にドミニカ共和国が入っていたので、レアな国にいらした方だなって思ったんですよ。以前、仲良しだったご夫婦に、ドミニカ国出身の方がいたので、“ドミニカ”に反応してしまいました。日本人にはあまり馴染みがないかもしれませんが、ドミニカっていうと、ドミニカ共和国と、ドミニカ国とは別の国で、ドミニカ国は英語が公用語ですけど、ドミニカ共和国は……?

【祥子】
今度はスペイン語だったので、必死に2週間CDを聞いて叩き込み、たどりついたらすぐに、ドミニカ人のスタッフだらけの厨房へ。ほぼジャスチャー大会な毎日でしたが、老舗の日本料理レストランに、ドミニカ人に会うようなフレンチテイストの和のメニューを取り入れるということで、試作、試食、教えるの繰り返しで本当にやりがいがありました。

【やほい】
悪戦苦闘振りが伝わってきますが、『ロッキーのテーマ』さらにクライマックスです。

【祥子】
見たこともない素材を使って斬新でそれでも日本人として誇れる料理をつくるというのは、自分にとっても勉強になります。戦後に移住した日本人の方とも接する機会があり、日本人畑でとれたぽんかんを使ってマーマレードを作り、そしてドミニカで採れたカカオの実からチョコレートを自家製で作って、そのふたつをあわせてポンカンのガトーショコラをつくったことなどが印象に残っています。

【やほい】
おいしそう!ほんとにドラマの一シーンみたい。

m-sachiko_1【祥子】
二つの文化が口の中でひとつになった瞬間、鳥肌が立つほどでした。
TVでお茶のセレモニーをやらせていただいたり、TVショーや新聞でも取り上げていただいたり、プライベートでもたくさんラテンダンスとサーフィンを堪能し、仕事だったのかバカンスだったのか、今でも謎な4ヶ月でした。

【やほい】
ひとことでいうなら、「ひたむき」ですね。

【祥子】
その頃不運にもひざを怪我してしまい、松葉杖で世界を一周して、また日本へ帰国し料理教室をしながら療養していたんですが。

【やほい】
お~、またまたドラマチック!ドミニカ共和国で、ひたむきに厨房をしきりながらも、青春を楽しむ少女が、今度は怪我……。

【祥子】
治ったらまた飛びたくなってしまって、仕事を見つけてスペインへ。これもメニューの開発の仕事でしたが、非常にレベルの高い現場で、絶対的に自分にかけてる何かに気づいてしまったんです。

【やほい】
立ち直り早いし……今度はスペインですか。確かに、発展途上の国と先進国では、いろんな意味でレベルはちがうでしょうね。

【祥子】
ドミニカでTVや新聞でちやほやされていた自分にはショックでした。

【やほい】
「井の中の蛙」で舞い上がっていてはいけませんが、ドミニカで貢献されたことにも大きな意味があったと思いますよ。

【祥子】
そして行き詰った私はその職場を去ることを決め、ジブラルタル海峡を渡ってモロッコへ。以前に来たときに衝撃を受けた、猛烈に美味しかったモロッコ料理、タジンと、スパイスの勉強をするためにこもることにしたんです。美食なだけでもなく、斬新なだけでもなく、心に響く、そして残る本当に美味しい料理というものを自分なりに追求してみようと、なんと家を借りて、5ヶ月もモロッコに篭ってしまいました。

【やほい】
今度はモロッコ!アラビア語とフランス語ですね。

m-sachiko_3【祥子】
毎日家庭やレストラン、スパイス屋を突撃し、今度はアラブ語で勉強しながらも、また日本人としてお返しをしたくなってしまって、中古のバンと中古のキッチンを購入して自分で車内にキッチンをうちつけて、なんと動く寿司レストランを作ってしまいました(汗。 モロッコの南の海の幸の美味しい町で、その日一番のサーフポイントに開店して、欧米のサーファーにお寿司を売ってました。

【やほい】
しつこいですけど、やっぱりドラマチック!!!っていうか「事実は小説よりも奇なり」と言いますが、まさにソレですよね。キッチン付きバン(それも手作り!)でサーファーに寿司を売る日本人@モロッコですもん。(笑)

【祥子】
色々あって、許可も下りず、ビザも取れず、出国を余儀なくされてしまったんですが、本当に日本人の独身女性が一体、あんな世の果てみたいな場所で何をしていたのだろうと、今思うと不思議で仕方がありません。でも、誰にもできない、最高の経験ですね。

【やほい】
しかし、祥子さんってどんな逆境にも負けない方なんですね。どんな試練も乗り越えてしまうというか、そこの前にある崖には登りたくなってしまうんですね。「落ちるかもしれない」とは考えないタイプなのでしょうか?

【祥子】
自分の料理の追及、そして小さな夢だったムービングレストランを叶えられた、私の人生になくてはならない5ヶ月でした。

【やほい】
このうえない、プラス思考が気持ちいいです。ややもすれば、同じ経験をしたとしても、「もう二度とあんな経験は嫌」ということもあるかもしれませんよね。

【祥子】
ビザの問題でモロッコを出国しなければならなかったので、ワーキングホリデービザのあったオーストラリアに飛ぶことにしました。あまりにも流れすぎていたため、そろそろ自分のライフが欲しくなっていたのも本音で。この国に足を踏み入れた瞬間から、ここで、もうちょっと腰をすえて想いを形にしてみようと思ったのです。

ご縁があってここシドニーで夫と出会い結婚し、モロッコからの経験をバネに無事永住権も獲得した現在は、出張料理とお料理教室をお客様のご自宅で提供するビジネスを展開しています。まだまだ毎日が勉強ですが、心に響く、そして残る料理を作り続けていきたいと思っています。

【やほい】
しかし、その小さな体のどこから、これほどのバイタリティーがわいてくるのでしょう。お話を伺って、見えてきましたが、きっと、壁にあたっても、ショボンとしないタイプなのかしら。それどころか、何かにぶつかると、次にできることをすぐに考えられる柔軟さと行動力が備わっているようですね。流れているうちに、この力もついたのでしょうが、それが今の祥子さんを作っているんですね。

【祥子】
実は19歳の頃からパニック障害の発作を抱えているんです。悪化すると乗り物に乗れなくなったり、家から出れなくなったり、本当にやっかいなんですが。今でも飛行機乗る前は予期不安との戦いなんですよ(笑 発作の苦しみを知っているからこそ、それに負けたくない気持ちと、そして元気な時にどこまでも幸せや楽しみを追求したくなる、ある意味反動みたいな感じで、バイタリティが沸いてくるのかもしれないですね。落ちることを覚悟しているからこそ、何でもチャレンジできる、落ちたときこそ何かを学ぶチャンス!そんな感じです。

【やほい】
とっても貴重な体験ですので、是非また自伝にするとか、ノンフィクションエッセイで連載でも初めてみてはいかがでしょうか。とっても元気をくれるストーリーになることまちがいなしです。

楽しいお話でもっと続きを知りたいところですが、今回はこのへんでやめておきますね。最後に、祥子さんが、今後も各メディアを通して、伝えたいことがあるとしたらそれは何ですか?

【祥子】
小さい頃から料理が大好きで、私はその情熱だけでこうやって流れながらも生きています。傍から見たらハチャメチャな人生ですが、体当たりで向き合っていく世界は私には万華鏡みたいにキラキラと形を変えて色んな模様に映ります。現在シドニーで展開している
Dining Storyはそんな日々見たり感じたりする世界を料理に乗せてお届けする、出張料理と料理教室のサービスです。

何も無駄なものなどないこと。
好きなことに夢中になること、そしてその気持ちを育てること。
ありのままの小さなことにも幸せをみいだすこと。
海や大地の恵みを感じて喜ぶこと。
私も何かできるかも!?っていうような笑顔と元気と勇気。
そんなスパイスがちりばめられた出張料理と料理教室です。

日本でも料理のサービスができればいいのですが、さすがに海を越えての出張は難しいので(笑)料理人ライターとして選んだオーガニックな言葉に乗せて想いを日本に世界にお届けできればと思います。

料理、旅、文化、国際結婚、サーフィンなど、体当たり系のルポを書くなら右に出るものはいません。通訳無しであの国にいってこんな体験をして撮影も勝手にして記事を仕上げてきてください、そんなお仕事が理想ですねー♪

【やほい】
さて、皆さんいかがでしたか? あまりに明るく軽快なので、苦労を感じ取る暇もなく、すっかり元気ばかりをもらいましたが、よくよく考えるととっても奇想天外な生きかたを“選んで”いらしたマーシャン祥子さんでした。彼女の魅力、届いたでしょうか。

マーシャン祥子さんのプロフィールはこちらです。

yahoiひと・人@広場ぶっとび,アッパレ,人,料理人マーシャン祥子さん(オーストラリア・シドニー在住) 今回の、突撃インタビュー「人・ひと@広場」は、オーストラリアで出張料理人をされているマーシャン祥子さんにご登場いただきました。 【やほい】 最近、オーストラリアの永住権を取られたそうですね。 おめでとうございます。 【祥子】 ありがとうございます。永住権を取るのは、フランス人の夫との目標でもあったので、とても達成感があります。 【やほい】 自分の暮らす場所で、自由に働いたり、勉強したりするって、日本人が日本で暮らしているぶんには意識することもないですけど、ひとたび、海外で暮らすことになると、避けては通れない現実ですよね。永住権取得には長くかかったのですか? 【祥子】 3月から準備を始めました。始めた当初は必要書類の多さや費用の面でも気が遠くなっていたんですが、夫がグラフ付プランを書いた大きな紙をでかでかと壁に貼り付けて、終わっては×、とひとつずつ進めていったんです。3カ月後に予定されていた英語の試験のために、ゆっくり勉強しようと心に決めた数日後、夫から電話がかかってきて「3日後にテストのキャンセル待ち取れたから受けてよ」と言われたんです。 「え!?何も勉強してないけど?」とあせりましたが、早く永住権を取りたかったので、必死で3日間勉強して無事にパス。その後は全ての書類も揃い、夫の会社を通じて申請をしてなんと2週間半でゲットできました! 【やほい】 なんて早いんでしょう。でも、自由の切符を手にして、すっきりしましたでしょう。 【祥子】 フランス人と日本人である私たち夫婦にとって、オーストラリアはお邪魔してる国、いつかは出て行かなきゃいけないという以前の状況がなんとなくストレスだったんです。労働ビザだったので、首になったら28日以内に出国しなければならなかったし。自分たちの意思以外の何かによって、暮らしが左右されるのって、やはりどこか息苦しさがあると思うんですよね。 【やほい】 これで、自由に働けるし、いや、休むこともできますね。労働ビザの場合は、自由に休むこともできませんものね。これで、オーストラリアに永住ですか? 【祥子】 一生オーストラリアで暮らすつもりではないし、またフランスや日本、他の国でくらしたい気持ちもたくさんあるんですが、それはビザや国籍と言うステイタスではなくて夫婦と言うユニットとして自由に選択していけたらいいじゃないですか。永住権は私たちにとって、一生住める安心感と言うよりも、自分の意思に正直でいられる自由の象徴みたいな感じです(笑 【やほい】 なるほどね、とってもよくわかります。日本人なら、北海道で暮らそうと、沖縄で生きようと自由なように、これが地球レベルで可能になったらいいのにね。あちこちで生きてみたい者にとっては国境の壁は高いですよね。 ところで、現在はシドニーにお住まいということですが、その祥子さん、あちこちで生きてみたいの典型というか、ここに来るまで、ずいぶんと“流れて”いらっしゃいますね。(笑) さしつかえなければ、オーストラリアに到達するまでの経緯を簡単に教えていただけますか。 【祥子】 本当に流れました(笑 流れすぎて途中から日本の家族や友達も、生存が確認さえできれば安心、という感じでしたね。うちの母は会社の壁に世界地図を貼り付けて、今はここ、今はこっちの大陸、今はこの島、と毎回同僚に説明していたらしいです……なんて親不孝なんでしょう。(涙 【やほい】 実は、祥子さんの「メディア広場」登録のときのプロフィールを拝見したときから、居住国があちこちで、「なんておもしろそうな人」と思っていました。 【祥子】 2005年の冬からフランスに料理の修業に出たのが全ての始まりです。 【やほい】 料理修行や絵描きを目指して“フランス”! というのは、よくありがちなパターンですよね。もっともその行動力はありがちながらスゴイことですが。 【祥子】 東京で料理の講師や、フランス料理レストランでの厨房の仕事をしていたため、本場の料理や素材をこの目で確かめてみたかったんです。それまでは2000年からアジア諸国や北アメリカを転々とバックパックで旅していましたが、これが初めての本格的な海外暮らし。 独学で身に付けた赤ちゃん程度のフランス語で、職場の住むあてもないままフランスの南西部、サーフィンの有名なビアリッツに突撃し、なんとか四つ星ホテルで仕事を見つけて働き始めました。 【やほい】 赤ちゃん程度のフランス語で、この行動力ってとこが勇気ありますね。勇気というより無謀って感じかな? スイマセン(笑) 【祥子】 大好きな料理とサーフィンに没頭した、正に青春の1年でした。フランス料理レストランで、本当の美食や、郷土料理バスク料理を学びながらも、日本人としてなにかお返しがしたいと思い、休みの日にはお寿司のケータリングをひとりで行っていました。 【やほい】 ほんと、まさに青春だわ! テレビドラマみたいな話ですね。(メディアの皆さん、テレビドラマのプロデューサーさん、これご覧になっていたら、ノンフィクションストーリーでどうですか?) 【祥子】 これを通じてたくさんの人との出会い、触れ合いがあり、フランスの文化、そして外から見る日本の文化、とにかく多くのことを学び、それはまさにプライスレスな経験でしたよ!今思い出すだけでも胸がきゅんと……。 【やほい】 はい、伺っているだけでも感動します。(私の頭の中には『ロッキーのテーマ』が流れ始めています) 【祥子】 それからヨーロッパ、アフリカ、アジアの旅を経て、日本に一時帰国をしてから、インターネットでのやりとりで承った、メニュー開発の仕事のため、すぐにカリブ海はドミニカ共和国に旅立ちました。 【やほい】 はじめてプロフィールを拝見したときに以前の居住国にドミニカ共和国が入っていたので、レアな国にいらした方だなって思ったんですよ。以前、仲良しだったご夫婦に、ドミニカ国出身の方がいたので、“ドミニカ”に反応してしまいました。日本人にはあまり馴染みがないかもしれませんが、ドミニカっていうと、ドミニカ共和国と、ドミニカ国とは別の国で、ドミニカ国は英語が公用語ですけど、ドミニカ共和国は……? 【祥子】 今度はスペイン語だったので、必死に2週間CDを聞いて叩き込み、たどりついたらすぐに、ドミニカ人のスタッフだらけの厨房へ。ほぼジャスチャー大会な毎日でしたが、老舗の日本料理レストランに、ドミニカ人に会うようなフレンチテイストの和のメニューを取り入れるということで、試作、試食、教えるの繰り返しで本当にやりがいがありました。 【やほい】 悪戦苦闘振りが伝わってきますが、『ロッキーのテーマ』さらにクライマックスです。 【祥子】 見たこともない素材を使って斬新でそれでも日本人として誇れる料理をつくるというのは、自分にとっても勉強になります。戦後に移住した日本人の方とも接する機会があり、日本人畑でとれたぽんかんを使ってマーマレードを作り、そしてドミニカで採れたカカオの実からチョコレートを自家製で作って、そのふたつをあわせてポンカンのガトーショコラをつくったことなどが印象に残っています。 【やほい】 おいしそう!ほんとにドラマの一シーンみたい。 【祥子】 二つの文化が口の中でひとつになった瞬間、鳥肌が立つほどでした。 TVでお茶のセレモニーをやらせていただいたり、TVショーや新聞でも取り上げていただいたり、プライベートでもたくさんラテンダンスとサーフィンを堪能し、仕事だったのかバカンスだったのか、今でも謎な4ヶ月でした。 【やほい】 ひとことでいうなら、「ひたむき」ですね。 【祥子】 その頃不運にもひざを怪我してしまい、松葉杖で世界を一周して、また日本へ帰国し料理教室をしながら療養していたんですが。 【やほい】 お~、またまたドラマチック!ドミニカ共和国で、ひたむきに厨房をしきりながらも、青春を楽しむ少女が、今度は怪我……。 【祥子】 治ったらまた飛びたくなってしまって、仕事を見つけてスペインへ。これもメニューの開発の仕事でしたが、非常にレベルの高い現場で、絶対的に自分にかけてる何かに気づいてしまったんです。 【やほい】 立ち直り早いし……今度はスペインですか。確かに、発展途上の国と先進国では、いろんな意味でレベルはちがうでしょうね。 【祥子】 ドミニカでTVや新聞でちやほやされていた自分にはショックでした。 【やほい】 「井の中の蛙」で舞い上がっていてはいけませんが、ドミニカで貢献されたことにも大きな意味があったと思いますよ。 【祥子】 そして行き詰った私はその職場を去ることを決め、ジブラルタル海峡を渡ってモロッコへ。以前に来たときに衝撃を受けた、猛烈に美味しかったモロッコ料理、タジンと、スパイスの勉強をするためにこもることにしたんです。美食なだけでもなく、斬新なだけでもなく、心に響く、そして残る本当に美味しい料理というものを自分なりに追求してみようと、なんと家を借りて、5ヶ月もモロッコに篭ってしまいました。 【やほい】 今度はモロッコ!アラビア語とフランス語ですね。 【祥子】 毎日家庭やレストラン、スパイス屋を突撃し、今度はアラブ語で勉強しながらも、また日本人としてお返しをしたくなってしまって、中古のバンと中古のキッチンを購入して自分で車内にキッチンをうちつけて、なんと動く寿司レストランを作ってしまいました(汗。 モロッコの南の海の幸の美味しい町で、その日一番のサーフポイントに開店して、欧米のサーファーにお寿司を売ってました。 【やほい】 しつこいですけど、やっぱりドラマチック!!!っていうか「事実は小説よりも奇なり」と言いますが、まさにソレですよね。キッチン付きバン(それも手作り!)でサーファーに寿司を売る日本人@モロッコですもん。(笑) 【祥子】 色々あって、許可も下りず、ビザも取れず、出国を余儀なくされてしまったんですが、本当に日本人の独身女性が一体、あんな世の果てみたいな場所で何をしていたのだろうと、今思うと不思議で仕方がありません。でも、誰にもできない、最高の経験ですね。 【やほい】 しかし、祥子さんってどんな逆境にも負けない方なんですね。どんな試練も乗り越えてしまうというか、そこの前にある崖には登りたくなってしまうんですね。「落ちるかもしれない」とは考えないタイプなのでしょうか? 【祥子】 自分の料理の追及、そして小さな夢だったムービングレストランを叶えられた、私の人生になくてはならない5ヶ月でした。 【やほい】 このうえない、プラス思考が気持ちいいです。ややもすれば、同じ経験をしたとしても、「もう二度とあんな経験は嫌」ということもあるかもしれませんよね。 【祥子】 ビザの問題でモロッコを出国しなければならなかったので、ワーキングホリデービザのあったオーストラリアに飛ぶことにしました。あまりにも流れすぎていたため、そろそろ自分のライフが欲しくなっていたのも本音で。この国に足を踏み入れた瞬間から、ここで、もうちょっと腰をすえて想いを形にしてみようと思ったのです。 ご縁があってここシドニーで夫と出会い結婚し、モロッコからの経験をバネに無事永住権も獲得した現在は、出張料理とお料理教室をお客様のご自宅で提供するビジネスを展開しています。まだまだ毎日が勉強ですが、心に響く、そして残る料理を作り続けていきたいと思っています。 【やほい】 しかし、その小さな体のどこから、これほどのバイタリティーがわいてくるのでしょう。お話を伺って、見えてきましたが、きっと、壁にあたっても、ショボンとしないタイプなのかしら。それどころか、何かにぶつかると、次にできることをすぐに考えられる柔軟さと行動力が備わっているようですね。流れているうちに、この力もついたのでしょうが、それが今の祥子さんを作っているんですね。 【祥子】 実は19歳の頃からパニック障害の発作を抱えているんです。悪化すると乗り物に乗れなくなったり、家から出れなくなったり、本当にやっかいなんですが。今でも飛行機乗る前は予期不安との戦いなんですよ(笑 発作の苦しみを知っているからこそ、それに負けたくない気持ちと、そして元気な時にどこまでも幸せや楽しみを追求したくなる、ある意味反動みたいな感じで、バイタリティが沸いてくるのかもしれないですね。落ちることを覚悟しているからこそ、何でもチャレンジできる、落ちたときこそ何かを学ぶチャンス!そんな感じです。 【やほい】 とっても貴重な体験ですので、是非また自伝にするとか、ノンフィクションエッセイで連載でも初めてみてはいかがでしょうか。とっても元気をくれるストーリーになることまちがいなしです。 楽しいお話でもっと続きを知りたいところですが、今回はこのへんでやめておきますね。最後に、祥子さんが、今後も各メディアを通して、伝えたいことがあるとしたらそれは何ですか? 【祥子】 小さい頃から料理が大好きで、私はその情熱だけでこうやって流れながらも生きています。傍から見たらハチャメチャな人生ですが、体当たりで向き合っていく世界は私には万華鏡みたいにキラキラと形を変えて色んな模様に映ります。現在シドニーで展開しているDining Storyはそんな日々見たり感じたりする世界を料理に乗せてお届けする、出張料理と料理教室のサービスです。 何も無駄なものなどないこと。 好きなことに夢中になること、そしてその気持ちを育てること。 ありのままの小さなことにも幸せをみいだすこと。 海や大地の恵みを感じて喜ぶこと。 私も何かできるかも!?っていうような笑顔と元気と勇気。 そんなスパイスがちりばめられた出張料理と料理教室です。 日本でも料理のサービスができればいいのですが、さすがに海を越えての出張は難しいので(笑)料理人ライターとして選んだオーガニックな言葉に乗せて想いを日本に世界にお届けできればと思います。 料理、旅、文化、国際結婚、サーフィンなど、体当たり系のルポを書くなら右に出るものはいません。通訳無しであの国にいってこんな体験をして撮影も勝手にして記事を仕上げてきてください、そんなお仕事が理想ですねー♪ 【やほい】 さて、皆さんいかがでしたか? あまりに明るく軽快なので、苦労を感じ取る暇もなく、すっかり元気ばかりをもらいましたが、よくよく考えるととっても奇想天外な生きかたを“選んで”いらしたマーシャン祥子さんでした。彼女の魅力、届いたでしょうか。 マーシャン祥子さんのプロフィールはこちらです。海外事情に詳しい、海外在住のライター、メディア・コーディネーター、フォトグラファー、トランスレーター(通訳、アテンド)を探す、繋がるサイト