フランス・パリ在住のプラド・夏樹さん

ライター活動だけでなく、オルガニストとしてもご活躍されているとのことで、以前から是非お話を伺いたいと思っていました。今日はどんなお話が聞けるかとても楽しみです。

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【やほい】まずは、フランス・パリに流れ着くまでの経緯を教えていただけますか?

【夏樹】私は今の日本はすごく好きなのですが、残念なことに、あの時代には自分の居場所をみつけることができませんでした。80年代末のバブリーな時期で、あの「金さえあれば」という風潮は肌に合いませんでした。

大学を卒業して、一応、翻訳の仕事や、美術ギャラリーで仕事をしてはいたのですが、ぜんぜん満足していませんでした。「もっとクリエイティブなことをしたい」と文句をいいつつ、かといって手に職はないし……

おまけにフツーではない家庭に育ったので、もうどこにも居場所がないという感じでした。そういう意味で、「どこでもいいから出て行きたい」という願望は、かなり若いときから芽生えていました。とくに親子関係が極悪で、「このままでは母親に押しつぶされる」という危機感が凄く、これは、後に私が女性問題に興味をもつきっかけにもなっていると思います。

こんな背景もあり、24歳のときに、フランスから日本に旅行に来ていた夫に出会うと、迷わずすぐ「駆け落ち」しました。普通の人なら「彼は好きだけど、私には家族や仕事もあるし」と考え直したり、悩んだりするのでしょうが、私にはそういう選択肢すらなかったので……。夫の仕事も年収も知らずに来たので、純粋だったのかキ印だったのか、今でもちょっと不思議です。

【やほい】いきなり、テレビドラマのはじまりのようなお話で、驚きました。(笑) 「新しい生き方」を求めて流れ着いたフランスの第一印象はどうでしたか?自分の居場所はみつかりましたか?

【夏樹】第一印象は良かったです。毎日、クロワッサン食べて、メトロに一日中乗って人間観察したりして遊んでました! 同時に自分の仏語は通じないということに気づき、かなり参りました。地方ではまた別だと思いますが、言葉ができない人間の相手をしてくれるほどパリの人々は暇ではないので、友だちができるのにはずいぶん時間がかかりました。

ただ、とてもコスモポリタンな街なので、人と違うことが苦しくなく、そこが今でもいちばん気に入っています。それから、外国へ行けばどこでもそうですが、学歴だの出自だのいうことはまったく意味がなくなりますよね。問題となるのは「自分の手で、今、何ができるか」だけです。そういう意味でしがらみから自由になれて、再出発することができたと思います。

ただ、自分の居場所=自分の世界を築こうというきもちだけは明確にもっていたので、まず、やりたかったパイプオルガンを習い始めました。夫も「はした金稼ぐくらいなら自分を磨いたら?」と言ってくれたので。「パリでコンサートぐらいはできるようになろう」というのがとりあえずの目標でした。

【やほい】とつぜんパイプオルガンということですが、日本にいる当時からピアノは弾けたとか、楽譜は読めたなど、その下地はあったのですか?

【夏樹】3歳からピアノはやっていました。ミッションスクールで育ったので、礼拝のときに使うパイプオルガンを触らせてもらったりして、馴染みはありました。13歳からパイプオルガンを習いましたが、レベルは趣味程度でした。

日本で音大を卒業してからフランスに来る場合、ある程度のコネというか、有名な先生を頼ってというのが普通です。私にはそういう背景がなかったので、まず、オルガンのコンサートを全部聞くことから始めました。そして「この人なら」と思う先生に弟子入りしました。これはほんとうに「出会い」だったと思います。盲目だけれども、バッハの曲は全曲暗譜しているというほどの記憶力を持ったオルガニストで、音楽を通して人とコミュニケートするという根源的なことを教えてくれました。

音楽学校を無事卒業し、コンサートもいろいろしてはいたのですが、それだけではとても定期的収入にならないんです。それに、音楽家というのは、いつも誰かが聞いていてくれないと駄目になっていく聴衆あってこその存在なので、教会で奏くことは絶対必要になってきます。でも、パリで教会に雇ってもらうためには、司教庁の資格試験にとおらなくてはいけないんです。書いてある楽譜をうまく弾くだけではなくて、インプロビゼーション(即興)もあるので、その試験は本当に難しかったです。

(c)Emmanuel ORTIZ http://emmanuelortizphoto.com

ところが、それに受かっても、すぐに正規雇いしてもらえるわけではないことがだんだんわかり、とてもがっかりしました。保守的な仕事場だから、そんなに簡単に外国人にチャンスなんて回ってこない。他のオルガニストが嫌がる仕事を分けてもらってという時期が10年ありました。夏休みにバカンスに行ったオルガニストの代わりに弾く、夜7時から朝7時までぶっ続けのミサで弾く、日曜日の朝早起きして郊外のロクでもない壊れたオルガンでミサを伴奏、なんでもありでした。やっと2年前から17区のサン・シャルル・ド・モンソーという教会の主任オルガニストになりました。

【やほい】お話を伺い、たいへんな努力とご苦労の連続だったろうと推察できますが、フランスにわたり、いちばんよかったと思うこと、また「失敗だったかな?」と思うことはありますか。

【夏樹】練習は、夜したり、昼間でも教会を閉めてやることが多いのですが、そういうとき、何世紀もの歴史をもった真っ暗な教会のなかでひとりで練習するのは凄い快感です。楽譜台のランプだけ付いていて、あとは真っ暗。そういう時間と空間をもてることが私にとっての贅沢、フランスに来て良かったことです。でも、そこまで行ったのは、ほんとうに、多くの人が私を助けてくれたからだな、と思っています。自分の才能や努力なんていうのは、あったとしても微々たるものだったと。そういうことがわかったことで、性格も穏やかになったし、自分と仲直りできるようになりました。

失敗だったと思うのは、やっぱり日本女性の「奥ゆかしさ」ゆえにつまづいたこと。そういう教育はほんとうに根強く私のどこかに残っていて、すごく損をしました。たとえば、「ここでコンサートしたら?」ともちかけられても、自信がなくて、すぐに「します!」と言えずに機会を逃したり。

【やほい】あ~、それなんとなくわかります。“謙虚”とか“おくゆかしさ”というのは、日本人の特徴であり、美しいところでもありますが、ひとたび日本の外に出ると、それが裏目に出てしまうこと、確かにありますよね。

ところで、いつも夏樹さんが書いていらっしゃるエッセイは、“女性の生き方”について、夏樹さん独特の視点でみつめているものが多いと感じていたのですが、ご自身が努力と苦労を重ねるなかで、出会ってきた人々の影響は大きかったようですね。これまでの経緯を伺い、なるほど、このような背景を持つ夏樹さんだからこそという気がしています。今までの経緯をふまえ、これから夏樹さんが、パリから伝えていきたいことはどんなことでしょうか?

【夏樹】バリバリ仕事をしてと、強そうに見えるフランスの女性ですが、男女の平等度という点では、ロシアに次ぐ46位とあまり良い成績ではないのです。女性の独立ばかり主張しているかと思えば「家族と一緒に過ごすときがいちばん幸せ」と言う女性が90%だったりもします。フェミズムのバイブル、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』が出版されたのが49年なのに、54年に「奴隷の身分に甘んじる幸せ」なんていう前書きがついている『O嬢の物語』が出版されドゥマゴ賞までとったりするところもおもしろい。要するに、一筋縄ではいかない、なんか平気で矛盾している。

私は、その「平気で矛盾」というところに興味をもっています。悪女で聖母、そういう在り方がこの国ではまかり通ってしまうみたいなところがある。女性としていろんな役割を演じることができるんですね。そんなことを書くことで、これからの女性の可能性を探っていきたいなと思っています。

【やほい】まだまだ、いろんなお話を伺いたいところですが、これからも、夏樹さんが伝えて下さる、“女性”をテーマにした作品を楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。

夏樹さんの連載 「フェミニストは嫌い?-フランスの女性事情-」

http://mediahiroba.com/wp-content/uploads/natsuki_1-490x225.jpghttp://mediahiroba.com/wp-content/uploads/natsuki_1-490x225-150x150.jpgyahoiひと・人@広場フランス・パリ在住のプラド・夏樹さん ライター活動だけでなく、オルガニストとしてもご活躍されているとのことで、以前から是非お話を伺いたいと思っていました。今日はどんなお話が聞けるかとても楽しみです。 ~・~・~・~・~ ~・~・~・~・~・~・~・~~・~・~・~・~ 【やほい】まずは、フランス・パリに流れ着くまでの経緯を教えていただけますか? 【夏樹】私は今の日本はすごく好きなのですが、残念なことに、あの時代には自分の居場所をみつけることができませんでした。80年代末のバブリーな時期で、あの「金さえあれば」という風潮は肌に合いませんでした。 大学を卒業して、一応、翻訳の仕事や、美術ギャラリーで仕事をしてはいたのですが、ぜんぜん満足していませんでした。「もっとクリエイティブなことをしたい」と文句をいいつつ、かといって手に職はないし…… おまけにフツーではない家庭に育ったので、もうどこにも居場所がないという感じでした。そういう意味で、「どこでもいいから出て行きたい」という願望は、かなり若いときから芽生えていました。とくに親子関係が極悪で、「このままでは母親に押しつぶされる」という危機感が凄く、これは、後に私が女性問題に興味をもつきっかけにもなっていると思います。 こんな背景もあり、24歳のときに、フランスから日本に旅行に来ていた夫に出会うと、迷わずすぐ「駆け落ち」しました。普通の人なら「彼は好きだけど、私には家族や仕事もあるし」と考え直したり、悩んだりするのでしょうが、私にはそういう選択肢すらなかったので……。夫の仕事も年収も知らずに来たので、純粋だったのかキ印だったのか、今でもちょっと不思議です。 【やほい】いきなり、テレビドラマのはじまりのようなお話で、驚きました。(笑) 「新しい生き方」を求めて流れ着いたフランスの第一印象はどうでしたか?自分の居場所はみつかりましたか? 【夏樹】第一印象は良かったです。毎日、クロワッサン食べて、メトロに一日中乗って人間観察したりして遊んでました! 同時に自分の仏語は通じないということに気づき、かなり参りました。地方ではまた別だと思いますが、言葉ができない人間の相手をしてくれるほどパリの人々は暇ではないので、友だちができるのにはずいぶん時間がかかりました。 ただ、とてもコスモポリタンな街なので、人と違うことが苦しくなく、そこが今でもいちばん気に入っています。それから、外国へ行けばどこでもそうですが、学歴だの出自だのいうことはまったく意味がなくなりますよね。問題となるのは「自分の手で、今、何ができるか」だけです。そういう意味でしがらみから自由になれて、再出発することができたと思います。 ただ、自分の居場所=自分の世界を築こうというきもちだけは明確にもっていたので、まず、やりたかったパイプオルガンを習い始めました。夫も「はした金稼ぐくらいなら自分を磨いたら?」と言ってくれたので。「パリでコンサートぐらいはできるようになろう」というのがとりあえずの目標でした。 【やほい】とつぜんパイプオルガンということですが、日本にいる当時からピアノは弾けたとか、楽譜は読めたなど、その下地はあったのですか? 【夏樹】3歳からピアノはやっていました。ミッションスクールで育ったので、礼拝のときに使うパイプオルガンを触らせてもらったりして、馴染みはありました。13歳からパイプオルガンを習いましたが、レベルは趣味程度でした。 日本で音大を卒業してからフランスに来る場合、ある程度のコネというか、有名な先生を頼ってというのが普通です。私にはそういう背景がなかったので、まず、オルガンのコンサートを全部聞くことから始めました。そして「この人なら」と思う先生に弟子入りしました。これはほんとうに「出会い」だったと思います。盲目だけれども、バッハの曲は全曲暗譜しているというほどの記憶力を持ったオルガニストで、音楽を通して人とコミュニケートするという根源的なことを教えてくれました。 音楽学校を無事卒業し、コンサートもいろいろしてはいたのですが、それだけではとても定期的収入にならないんです。それに、音楽家というのは、いつも誰かが聞いていてくれないと駄目になっていく聴衆あってこその存在なので、教会で奏くことは絶対必要になってきます。でも、パリで教会に雇ってもらうためには、司教庁の資格試験にとおらなくてはいけないんです。書いてある楽譜をうまく弾くだけではなくて、インプロビゼーション(即興)もあるので、その試験は本当に難しかったです。 (c)Emmanuel ORTIZ http://emmanuelortizphoto.com ところが、それに受かっても、すぐに正規雇いしてもらえるわけではないことがだんだんわかり、とてもがっかりしました。保守的な仕事場だから、そんなに簡単に外国人にチャンスなんて回ってこない。他のオルガニストが嫌がる仕事を分けてもらってという時期が10年ありました。夏休みにバカンスに行ったオルガニストの代わりに弾く、夜7時から朝7時までぶっ続けのミサで弾く、日曜日の朝早起きして郊外のロクでもない壊れたオルガンでミサを伴奏、なんでもありでした。やっと2年前から17区のサン・シャルル・ド・モンソーという教会の主任オルガニストになりました。 【やほい】お話を伺い、たいへんな努力とご苦労の連続だったろうと推察できますが、フランスにわたり、いちばんよかったと思うこと、また「失敗だったかな?」と思うことはありますか。 【夏樹】練習は、夜したり、昼間でも教会を閉めてやることが多いのですが、そういうとき、何世紀もの歴史をもった真っ暗な教会のなかでひとりで練習するのは凄い快感です。楽譜台のランプだけ付いていて、あとは真っ暗。そういう時間と空間をもてることが私にとっての贅沢、フランスに来て良かったことです。でも、そこまで行ったのは、ほんとうに、多くの人が私を助けてくれたからだな、と思っています。自分の才能や努力なんていうのは、あったとしても微々たるものだったと。そういうことがわかったことで、性格も穏やかになったし、自分と仲直りできるようになりました。 失敗だったと思うのは、やっぱり日本女性の「奥ゆかしさ」ゆえにつまづいたこと。そういう教育はほんとうに根強く私のどこかに残っていて、すごく損をしました。たとえば、「ここでコンサートしたら?」ともちかけられても、自信がなくて、すぐに「します!」と言えずに機会を逃したり。 【やほい】あ~、それなんとなくわかります。“謙虚”とか“おくゆかしさ”というのは、日本人の特徴であり、美しいところでもありますが、ひとたび日本の外に出ると、それが裏目に出てしまうこと、確かにありますよね。 ところで、いつも夏樹さんが書いていらっしゃるエッセイは、“女性の生き方”について、夏樹さん独特の視点でみつめているものが多いと感じていたのですが、ご自身が努力と苦労を重ねるなかで、出会ってきた人々の影響は大きかったようですね。これまでの経緯を伺い、なるほど、このような背景を持つ夏樹さんだからこそという気がしています。今までの経緯をふまえ、これから夏樹さんが、パリから伝えていきたいことはどんなことでしょうか? 【夏樹】バリバリ仕事をしてと、強そうに見えるフランスの女性ですが、男女の平等度という点では、ロシアに次ぐ46位とあまり良い成績ではないのです。女性の独立ばかり主張しているかと思えば「家族と一緒に過ごすときがいちばん幸せ」と言う女性が90%だったりもします。フェミズムのバイブル、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』が出版されたのが49年なのに、54年に「奴隷の身分に甘んじる幸せ」なんていう前書きがついている『O嬢の物語』が出版されドゥマゴ賞までとったりするところもおもしろい。要するに、一筋縄ではいかない、なんか平気で矛盾している。 私は、その「平気で矛盾」というところに興味をもっています。悪女で聖母、そういう在り方がこの国ではまかり通ってしまうみたいなところがある。女性としていろんな役割を演じることができるんですね。そんなことを書くことで、これからの女性の可能性を探っていきたいなと思っています。 【やほい】まだまだ、いろんなお話を伺いたいところですが、これからも、夏樹さんが伝えて下さる、“女性”をテーマにした作品を楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。 夏樹さんの連載 「フェミニストは嫌い?-フランスの女性事情-」海外事情に詳しい、海外在住のライター、メディア・コーディネーター、フォトグラファー、トランスレーター(通訳、アテンド)を探す、繋がるサイト