6:「一番の宝物は自分で創りだしたものでなければならない」/近藤雄生さん

現在は京都在住の近藤雄生さん

2012年スタートは、『旅に出よう』『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術』の著者、近藤雄生さんです。近藤雄生さんは2003年から奥さまといっしょに5年間、世界を遊牧する暮らしを実践され、その体験を本にされています。

【やほい】私が近藤さんの存在を知ったのは、遊牧中で昆明に滞在されていた2005年頃だったと記憶しています。以後、ときおりブログを覗かせていただいたり、広場の管理人として、「移動しました」といった連絡を受けるなか、その都度、「世の中には変わった生き方があるものだ」と思っていました。

帰国されてから、早くも3年が経ちましたが遊牧中と帰国後の大きなちがいは何ですか?

【近藤】そうですね、旅を終えてから3年もたってしまって、だんだんと、旅のころ何が普通だったのかを思い出せなくなっています(笑)。いまは住む部屋があったり、帰国後に子どもも生まれたりと、生活はまるっきり変化したといえますが、いまあえて、旅との比較という意味で考えると、特徴的なことの一つは、所有物が驚くほど増えたことかもしれません。本、家具、服……などなど。旅をしていたときは、自分の持ち物のすべてがたった2つのバックパックに収まっていたことを思うと、なんでいま自分はこんなにモノが必要なんだろうと改めて不思議に感じたり、いかにいま無駄なものを背負い込んでいるかを実感します。旅は持ち物が少なければ少ないほど楽しいということを、旅をしながら確信するようになりました。いま自分の部屋を見回してみると、モノの多さこそが、旅をしていたころの自分といまの自分とのいろいろな違いを象徴しているような気もします。

【やほい】オモシロイ!そこに行きますか。でも、それって、帰国して三年が経ち、近藤さんが、がんばっているからではないでしょうか?先進国と言われる国って、がんばったご褒美として、結果としていろんなモノが増えてしまうように思うのです。

【近藤】いや、どうなんでしょう(笑)。でも確かに、背負い込んでいるものが自分の生活を表しているというのはそうかもしれません。特に自分たちの生活やら仕事やらの歴史や思い出が染み付いたものが周りにあるっていうのは、うれしいことでもありますよね。

【やほい】ただ、その部分に「ひっかかり」を感じる近藤さんのお気持ちもわかります。我が家もシンプルライフを目指して家族で南国移住をし、そのあとから、浪費の最たる国とも言える、米国にいますので。必要最低限の道具はもちろんいりますが、モノってなければないで不便ということもなく、「持たない豊かさ」を得られるものだと思うのです。私は、近藤さんの著作を読ませていただくなかで、随所で「持たない豊かさ」を感じていましたし、「旅のなかを生き続けたい」という裏には、束縛から開放されていたいというお気持ちが強いのかなと思っていました。自身の所有物が多いって、「縛られる」ってことのような気もします。

【近藤】ぼくも確かにそう感じます。モノってなければないほど自由でいられる気がするんですよね。モノに囲まれた環境で何かをほしいなって思うと、それを手にしてもさらに別のものがほしくなったりして、結局いつまでも満足できない。でも、何も持っていない状態に慣れたり、何も持たないことが普通になると、基本的にほしいと思わなくなるし、そうなると、すごい楽だったりして。それに、数少ない持ち物の一つひとつが、本当に必要なものだからすごく貴重で大切に思えたりするので。そういうときに逆に、ああ、形のあるモノっていいなって思えたりするんです。

じつは小さいころにこんな思い出があります。当時ぼくは常に、何か一ついまはこれが一番大事ってモノを持っていたいと思っていたんです。小学校のとき、初めて自分がほしいと思うスニーカーを買ってもらったことがあったのですが、そのときぼくは、何か一つを大事にしたかったために、靴の右か左のどっちを大事にしようかって真剣に悩んだことがありました。それで、どちらだったかを大事にしようって決めて、その片方だけきれいに手入れしようって考えたんです(笑)。

【やほい】いやぁ~雄生少年、すばらしいですね。「自分にとっての一番」について「考える心」を持っていたってことですし、決めたものを大切にするぞ!という心意気もあったってことですから。

【近藤】もちろんいまはそんなことしませんけど(笑)、でも、いまなおその感覚っていうのは自分の中で抜けてません。何か目の前にある一つのモノを宝物のように思えたら幸せだなっていう気持ちがいまもあるんですよね。そういう意味で、なんか矛盾しているようですが、モノは少ない方がいいと思いながらも、「何か一つ」がほしいっていう「物欲」は強いのかもしれません。

昔は、靴の片方でもその何か一つになりえたのに、いつからか、もはや買ったものでその欲を満たすことができなくなっていきました。その何か一つは、自分で創りだしたものでなければならないって思うようになり、それがいま、自分で本を書いて形あるものを生み出すっていうことへの一つのモチベーションにもなってるんです、じつは(笑)。でも、なかなか満足いく作品が書けず、次こそはって思いながら書き続ける。そうやってこれからも先に進んでいくような気がします。って、全然話が逸れてしまいましたが……。

【やほい】「自分で創りだしたものでなければならない」、書くことへの思いも、そこにあるのですね。創作活動ってエンドレスな作業ですし、自他ともに満足を得るのも容易いことではありませんが、だからこそ、期待と希望を持って次に進んでいけるということには、深くうなづけます。

そんなお気持ちでこれからも書き続けたいとおっしゃる近藤さんは、また荷物を置いて旅に出たいと思いますか? またこれからは今までの体験を糧にどんなテーマにフォーカスしていきたいとお考えですか?

【近藤】そうですね。最近は、いますぐにでも旅に出たいなって思うときがあります。ただ、いまは子どももいるので、なかなか前のように『無職、結婚、そのまま海外!』(『遊牧夫婦』の帯の言葉)という気軽さでは飛び出せませんが(笑)、でも年単位で旅と定住を繰り返すという生活はまた近い将来に実現させたいと思っています。そのときは、娘も連れての「遊牧家族」で……。

【やほい】それは楽しみ!是非是非! そういうことをさらっと言えるのも、近藤さんがすでに世界を見て来ているからだと思います。子どもにも自分が見たものを見せたい、体験した感覚を実感してほしいという気持ちが、今後の近藤ファミリーの舵取りに影響を与え続けていくのでしょうね。

【近藤】とはいえ、書いていくテーマとしては、これからは旅以外のことをどんどんやっていきたいと思っています。『遊牧夫婦』シリーズの最終巻は、できれば今年中を目指して完成させたいと思っていますが、それが終わったら旅について書くのはひとまず一端休止にするつもりです。

じつを言うと、ぼくは最初、紀行文を書くつもりはなかったんです。帰国後の流れで旅の本を書くことになったのですが、元来は人物ノンフィクションなどを書きたくて物書きを目指しました。最近の仕事では、「g2(ジーツー)」(講談社)というノンフィクション誌にミュージシャンの若旦那さんについての短編ノンフィクションを寄稿しました。こういう仕事をこれからはもっと増やしていきたいと思っています。今後ともどうぞよろしくお願い致します。ありがとうございました!

【やほい】世の中にはいろんな生き方がありますから、「人を知る」ってわくわくしますよね。「人を伝える」に相応しい近藤さんならではの次回作、これからも期待しています。今日はどうもありがとうございました。

『旅に出よう』 『遊牧夫婦』 『中国でお尻を手術』 『g2  Vol.9』