3:日本と台湾をつないでいきたい/有川真由美さん

台湾・高雄市在住の有川真由美さん

「人・ひと@広場」5人めの今回は、有川真由美さんにご登場いただきました。現在、有川さんは台湾で大学院に在籍しながら、精力的に執筆活動をされています。

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【やほい】有川さんは、いろんな職種を経験され、たいへんユニークな人生を歩んでこられていますよね。とても “簡単に”とはいかないと思いますが、まずは、台湾にたどり着くまでの経緯をざっとお話しいただけますか。

【有川】短期の仕事も含めると50職種ほどあるので、話すと一晩かかちゃいますね(笑)。大ざっぱに話すと、20代のときは、事務職、塾講師、科学館コンパニオン、ユニクロ店長などをしていました。ユニクロ店長は5年近くしましたが、あまりのハードさに「これじゃ長くはもたない」と着付け講師に転職。30代はブライダルコーディネーター、ブライダルカメラマン、新聞社編集者の仕事もしました。地元鹿児島の新聞社では、嘱託社員として企画、取材、執筆、撮影、レイアウトなど編集のノウハウを教えてもらい、骨を埋める覚悟でしたが、嘱託社員は5年以上契約しないというルールができて退職。そこで、東京でジャーナリストになろうと決め、まずは、世界のことを知ろうと、2年ほどかけて、世界各地を旅したんです。

途中、ギリシャにハマり、1年近く滞在。そのとき、この“海外在住メディア広場”にも登録させてもらいました。帰国後、東京で雑誌ライターをしているときに、“広場”で台湾屏東県が2カ月間、ホームステイをして本を書く日本人作家を募集していることを知り応募。それがきっかけで、すっかり台湾の魅力にとりつかれて、台湾を訪ねるようになり、1年半前から暮らすようになりました。書籍の仕事を始めて、少し落ち着いてきたので、別の環境で、別のことをしてみたくなったんです。思い返せば、この広場があったことで、私の人生が変わったんですよね。

【やほい】広場の存在で「人生が変わった」とは少々大袈裟な気もしますが、そうおっしゃっていただくととてもうれしいです。確かに、縁とは不思議なもので、思いもよらないことから、何かがスタートすることはありますね。さて、そのすっかりとりつかれたという、台湾の魅力を教えて下さい。

【有川】なにより、人の温かさ! 料理や果物の美味しさ。物価も安く、暮らしやすいですね。かなり適当なところもあって、ほとんどの問題は「没問題(メイウェンティ・問題ない)」と笑って許されるところも気に入っています。それに、台湾は世界一の親日の場所で、1895~1945年の50年間、日本が統治していたこともあり、日本への理解が深いです。東日本大震災でも、180億円を超える世界一の義援金が寄せられたんですよ。子どもからお年寄りまで募金活動をしたり、千羽鶴を折ったり、支援物資を集めたりと、熱い行動力に驚かされました。

【やほい】同じような理由で台湾の魅力にハマる人って多いようですね。実は私の弟も台湾に住み着いてしまっています。(笑)台湾では、大学院にも通っているんですよね。どんな勉強をされているのですか?

【有川】女性の働き方、生き方の本を書いてきたので、それを深めてみようと、応用日本語学科で日本の労働問題について研究しています。世界から日本社会を見るのは、とてもおもしろいですよ。あるとき、授業でNHKの「クローズアップ現代」を観ていたんですが、子どもをもつ日本女性が「子どもがいると採用してもらえない。子どもを預ける場所もない」と半泣きになっているのに対して、台湾女性たちは「家の前で屋台出せばいいじゃない。子どもは親や近所の人に頼めばいいじゃない」と言っていました。クラスメートのなかには、幼い子どもがいても、フルタイムで仕事をして、なおかつ大学院に来て研究発表や卒論を乗り越えていくというパワフルな女性が何人かいます。子育て中の女性が、自分の道もあきらめないで進んでいけるのは、企業や地域社会、家族などの応援があってのことですね。

【やほい】なるほどね。とりまく環境やお国がらのちがいは大きいかもしれませんが、お話を伺うと、台湾の女性たちのほうが、良くも悪しくも、「当たって砕けろ」というか、あまり先のことを心配しないのでしょうか?それに比べて、日本では、恥をかきたくないとか、失敗を恐れて「転ばぬ先の杖」のモードで人生を進んでいくタイプが多いように思います。で、これから台湾でしていきたいさらなる活動はなんでしょう?

【有川】いま、台湾中部にある西拉雅(シラヤ)国立公園の観光顧問をしています。温泉とマンゴーで有名な地域。先月(2011.5)は、台湾のダムの父、八田與一氏の功績をたたえる「八田與一記念公園」がオープンしました。八田氏は戦前、荒れ果てた嘉南平野に網の目状の水路を巡らせて、台湾一の穀倉地帯をつくった日本人。ダム工事で多くの日本人が暮らしていた宿舎跡の公園には、当時の日本家屋4棟が再現されています。この西拉雅地区を中心に、台湾のことを日本に伝えていきたいですね。また、台湾の日本語学科の大学生、大学院生の日本研修も計画中です。自然に日本と台湾をつなぐ役割になってきていますね。ありがたいことに。

MAYUMIの旅びと生活・西拉雅(シラヤ)の旅

【やほい】すばらしいことですね。ところで、有川さんは、おもに30代の女性を元気にする本をたくさん書かれていますが、書かれていることが実践できれば、ほんとにステキな女性になると思います。このノウハウを整理し、具体的な言葉でわかりやすく説明する能力に私はひたすら感心しているのですが、こうしたネタ収集には、なにかコツがあるのでしょうか?

【有川】ありがとうございます! ネタは、あれこれ転職して、多くの職場を見てきたので、そこで会った人たちが、ネタといいますか、学びになっていることが多いです。それから、実体験。最近は、組織のなかで仕事をしていないので、トークショーや座談会で話を聞いたり、幅広い世代の友人たちからネタを仕入れたりしています。やはり、生の声がいちばん。いま、働きづらいと感じている女性たちが、少しでも元気に、幸せになれたら……と思って書いています。

【やほい】まさに、経験から学び、出会った人から学び、人に積極的にアプローチしてまた学び……それを整理、記録してさらに学んだことを伝えていくことまでが、有川さんのライフワークとなっているのですね。お話を伺って、「私もがんばらなくっちゃ!」という気になってきました。今回はご登場どうもありがとうございました。

■有川真由美さん著作
『世界が感嘆する日本人~海外メディアが報じた大震災後のニッポン』 (宝島社新書)
『仕事ができて、愛される人の話し方』
『女35歳からの「ひとり論」』 (静山社文庫)
『30歳から伸びる女(ひと)、30歳で止まる女(ひと)』
『こころがフワッとする言葉』